麻酔科医の働き方の変化に備えるには
武田 吉正先生
勝又健一(以下勝又): 本日はお忙しいところ恐れ入ります。対談、宜しくお願いします。新型コロナウイルスの猛威が衰えませんね...。今回は距離感や換気に気を付けながら、マスクをつけて対談させて頂ければと思います。
武田先生(以下先生): こちらこそ、本日は宜しくお願いします。
勝又: では早速ですが、まず初めに私は先生方にどうして医師になられたのか、またどうして麻酔科を選ばれたのかお伺いしているのですが、武田先生はいかがですか?
先生: 私は中学や高校の頃、理科の実験が好きだったんです。特に仮説を立てて実験を考えることが楽しかったです。そういう学生でしたので将来的には研究部門に行ければと思い、その選択肢の一つとして医学部を考えていました。
勝又: 学生の頃から実験に興味があったのですね。
先生: そうです。大学時代は生理学が好きでした。学生の頃から生理学教室に遊びに行かせてもらい、プログラミングなど様々なことを教えて頂きました。将来は基礎に進むか臨床に進むか考えていたのですが、麻酔科は薬理や生理などがあり、尚且つ臨床もできる診療科だと思い麻酔科を選びました。
勝又: 実際に麻酔科を選ばれ医師になられて、学生の頃に想像した麻酔科像と違うことなどありましたか?
先生: 麻酔科はその日のうちに結果が分かる所が良いなと思っていたのですが、結果が出るのが思った以上に早くて、そのスピードについていけず最初の数年間は本当に苦労しました。ですが少しずつ慣れてきましたね。麻酔科は懐が広い診療科だと思うので、ゆっくりな人もテキパキできる人も皆それぞれが活躍できる診療科だなと今は思っています。
勝又: 初期研修医の先生方や医学生の方も読んで下さっていると思いますので、麻酔科の懐の広さというのを少し具体的に教えて頂ければと思うのですが。
先生: 麻酔科は、緊急度の高い患者さんの対応からペインクリニックでじっくり患者さんと向き合うこともできます。他にも緩和医療やICU等もありますので、麻酔科を選んでからでも自分に合った診療を突き詰めることができます。また賛否は有りますがフリーランスのような働き方もできますし、ペインクリニックで開業もできますよね。それから大学に残り研究室で研究をすることもできます。QOLを望む人から研究をやりたい人まで、様々な人が自分の希望をかなえられる診療科ではないかなと思っています。
勝又: ちなみに武田先生は学生の頃から実験が好きだったと仰っていましたが、現在はいかがですか?
先生: 研究は蘇生時脳保護をテーマに継続しています。また、最近は臨床解剖をテーマに教育方法を考えています。
勝又: 臨床解剖という言葉はあまり馴染みがないのですが。
先生: 臨床解剖というのは、解剖体で手術に必要な解剖を修得させていただくことです。もちろんガイドラインに沿って生前から同意を頂き、倫理委員会を通して行います。シミュレーターも有用ですが限界があります。
勝又: そうですね。
先生: それで現在は、厚生労働省が事業費を出し、臨床解剖が各大学で始まりつつあります。日本の半分くらいの大学で臨床解剖が行われています。
勝又: そうしますと教育法も少しずつ変わってきているのでしょうか。
先生: そうです。効率的で患者さんにより安全な治療ができるようになると思います。 シミュレーションでは分からなかった神経や血管の走行が理解できるので、どの程度セーフティーマージンを持って手術をしているのか、そういったことが臨床解剖では習得できます。我々麻酔科も気道確保、血管確保、神経ブロックを行うとき、解剖を理解していることが大切です。
勝又: 手術される先生方はもちろんですが、麻酔科もなのですね。
先生: そうですね。私は多視点3D解剖ができる「MeAV Anatomie 3D」というシステムの開発に携わりました。これは様々な角度から解剖体を見ることのできるシステムなのですが、これを使って指導することもあります。例えば気管挿管時、声帯が見えているのにチューブが引っかかり進まなかった経験があると思います。これは喉頭室(声帯と仮声帯の間)にチューブ先端が陥入しています。喉頭室はビデオ喉頭鏡を用いてもほとんど視認できません。そこでこのシステムを用い喉頭室の構造を教えています。ほかにも喉頭展開の際、気道の解剖を理解しているとブレードの動かし方に無駄がなくなります。
勝又: 麻酔技術が上手な先生は感覚的にやっているようなイメージがあるのですが。
先生: 恐らく上手な方はある程度、身体構造のイメージを持っていらっしゃるんだと思います。当院の麻酔科では解剖画像がどのパソコンでも見られるようになっていて、いつでも勉強できる環境があります。
勝又: そのような環境があるのは素晴らしいですね。
日本の医療を背負っているという自負心を持って欲しい
勝又: 少し話は変わりますが、ここ数年で麻酔科医の置かれる環境が変わってくるのではないかと思っていまして。
先生: そうですね。そのお話の前に少し話が逸れますが、麻酔科は日本の医療をどうしたいのか、という視点がもっと必要だと思っています。内科や外科学会では日本の医療をどうするかというセッションがあります。そのセッションの内容が的を射ています。自分達が日本の医療を背負っているという自負が強いように感じます。もちろん麻酔科の学会でも取り上げていますが、日本の医療をどのようにすればよいのかもっと踏み込んでもいいのかなと個人的には思います。その視点の中で麻酔科医のあり方というのを考えていくべきと思います。
勝又: 確かにその視点は大事ですね。
先生: どの学会でも言及されていると思うのですが、日本の医療費が増加していまして、国内総生産の8%が医療費なのです。医療費が増えてもその分、利益を上げていれば問題ないのですが、医療機器で毎年1兆円程、医薬品は毎年2兆〜3兆円程の貿易赤字となっています。医療費は増えていっていますが、我々医師やスタッフの人件費のパイはどんどん減っていっているのですね。その中で国⺠皆保険を維持するにはどうすればいいのか、そのような視点が我々に必要と思います。
勝又: そうですね。
先生: その中で我々の人件費も考えなければいけません。貿易赤字の責任の一端は大学病院にもあります。産学連携で輸出できる医療機器や医薬品を開発しないと日本の医療はどんどん衰退していきます。日本がここまで皆保険制度を維持できたのは、中小企業の医療メーカーが沢山あったからだと思います。医療費が増えても日本国内で消費されるので、日本の医療経済は回っていたと思います。ですが、グローバル化が進んで海外から安くて質の良い製品が輸入されると、日本の小規模な医療機器メーカーは淘汰されてしまいました。使えば使うほど貿易赤字が増加してしまう。この状況になってしまうと国⺠皆保険は維持するのは難しくなると思います。
勝又: グローバル化のスピードに医療は若干ついていけてないような気がしますね。
先生: そうですね。あともう一点問題なのは、日本の医療機器メーカーが海外の消費者、つまり海外の医療機関への足掛かりを持っている企業が少ないことです。海外のディストリビューターを介さないと輸出するのが難しい状況なのです。良い製品を作ってもそれが障壁となり必ずしも売れない。
勝又: なるほど。日本は世界的にも医療水準も高くこのままでも問題ないような話もありましたが、そのような自負がガラパゴス化につながりグローバル化の波に乗り遅れてしまったのでしょうか。それで言いますと、医療ツーリズムも今後は活発になるのでしょうか。
先生: そうですね。医療ツーリズムは頑張らないといけないですよね。海外から患者さんに来てもらい、臨床で医療経済に貢献することが必要と思います。それと同時に医療教育も最高のセールスツールだと思っています。例えばフランスには IRCAD(Research Institute against Cancer of the Digestive System)という腹腔鏡のトレーニングシステムがありまして、台湾やブラジルに展開しています。そこでは医療機器メーカーがスポンサーとなり最新機器がフロア一面に置いてあります。台湾ですと東南アジア各国から勉強に来る訳です。シミュレーターやウエットラボで腹腔鏡の勉強をし、自分の国に帰りその医療機器メーカーの機器を買う。このような流れを日本も作らなければいけないと思っています。
麻酔看護師の制度導入に伴う麻酔科医の働き方は
勝又: そうですね。先ずは日本の医療経済を考えながら麻酔科医のあるべき姿を考えていかないといけないと思いますね。先程、人件費の話もありましたが今後は麻酔看護師が一つのキーワードになるような気がしています。
先生: 医療経済の中で人件費に使えるパイは小さくなっています。更に働き方改革によって、我々の働き方は昔のように朝から晩まで働けばよいという時代ではなくなりつつあります。8時から17時の中で仕事を終わらせ、かつ今の医療レベルを維持するにはワークシェアしか手はありません。麻酔看護師は必ず必要になると思います。これからは麻酔看護師といかに今の医療水準を支えていくか、これが麻酔科医の考えなければいけないことだと思います。
勝又: 麻酔科がオペ室を中心に業務をする時代ではなくなるかもしれませんね。
先生: そうですね。麻酔科医の業務は、手術室で麻酔をかける業務からリスク管理をする業務へ徐々に変わっていくと思います。
勝又: そうですね。
先生: 我々があらかじめ術前などでリスクを評価し、安全な麻酔方法を教えてその安全な範囲内でやってもらう。そうすることで一緒にやっていけるのだと思います。 我々の仕事はどちらかというと術前外来、そこでの患者の評価、そちらに軸足がだんだんと移っていくのだと思います。
勝又: そうなりますと、リスク管理もそうですが緊急事態にもいかに対処できるか、ということも大事になってくるように思いますね。
先生: トラブルは必ずありますね。その時にいくつか対処方法の引き出しは必要です。
勝又: 麻酔薬の進歩は著しく、一昔前に比べてトラブルが少なくなり、トラブルを経験する頻度も今の先生方は少なくなってきていると思うのですが。
先生: 昔に比べてトラブルは起こらなくなりましたね。安全になりました。
勝又: そもそも経験する必要が無いわけではないですよね。
先生: 救急科の方がそういった修羅場は多いですね。昔は麻酔科医が救急をしていました。その後、救急科と麻酔科が分かれてそういった経験をする機会が少なくなった。本当は麻酔科と救急科は半分合体しながら一緒にやっていくのが良いのだと思います。是非、東邦大学でも救急科と一緒に仲良くやっていきたいと思っています。
勝又: そうなりますと、麻酔科の専門医試験がありますが、専門医試験はあくまで通過点でしかなく、キャリアとしてはまだまだ経験を積まなければいけないということでしょうか。専門医資格を取得できれば一人前と思ってらっしゃる先生がちょっと多いような気はしていて、別の意味で危機感を抱いています。麻酔看護師のお話が出ましたが、リスク管理を大学ではどのように教育すればいいのでしょうか。
先生: 周術期管理センターを持っていることが必要と思います。患者さんのリスクを評価して、どういう麻酔をかけるのか、議論できる環境が必要です。東邦大学は周術期センターがあり、その中でリスクの高い症例は「ハイリスクカンファレンス」で話し合われます。そのカンファレンスには麻酔科医、手術室や集中治療室の看護師、医療安全の医師や看護師、主治医が集まり、リスクについて話し合います。 そこで最終的に患者さんにとってどのような治療が適切か判断します。手術をしないという結論に至る場合もあります。ハイリスクカンファレンスが東邦大学にあるのは良いなと思います。
勝又: ハイリスクカンファレンスでリスク管理に関する経験値が積めるのはいいですね。ハイリスクカンファレンスは東邦大学のオリジナルですか?
先生: 前任の落合先生の時に作られたシステムです。これは良いシステムだと思いました。それで良く機能しています。
勝又: ハイリスクカンファレンスの内容をもう少し詳しく教えて頂きたいのですが。基本的には周術期管理センターの中で術前を担当していた麻酔科の先生が、ハイリスクカンファレンスの開催提案をするような流れでしょうか?
先生: 多くの場合はそうですね。ただハイリスク手術の場合、主治医側からハイリスクカンファレンスを要求される事もあります。または治療方針が悩ましい時には、他の診療科の医師を呼んでディスカッションするケースもあります。東邦大学は診療科同士の仲が良いので、相談すれば皆さん話を聞いてくれます。
勝又: 周術期管理センターがそのように機能しているのは良いですね。御大学に入職することによって経験値が上がりますし、恐らく将来的にハイリスクカンファレンスのシステムは広がるような気がしますね。
先生: 麻酔科医の仕事の軸足はリスク管理へと変わっていきます。しかし、たとえ軸足が移ったとしても、麻酔科医は全身管理の一貫としてリスクを評価することになります。全身管理ができれば病院の中で麻酔科医は存在感を発揮し輝き続けられると思います。
勝又: 麻酔科の先生方は日本の医療の行く末を意識しつつ、全身管理、リスク管理をされているのですね。改めて将来のことを考えるきっかけになるようなお話ですね。本日は大変有意義なお話を聞かせて頂いて有難うございました。
先生: こちらこそ有難うございました。